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2016
09.14

「家族と桑の木」

2016-9-13.jpg
☆ブログエッセイ☆
「家族と桑の木」 

 好美と結婚して間もない頃、春になると二人して山深い渓流によく通った。
 私は渓流に住むヤマメやイワナが目当てだったが、彼女は静かな山の中で本を読んだり散歩をすることが好きだった。あの頃は、二人とも山の事など何も知らず、渓流沿いの道を歩くだけでいろんな発見があった。
 珍しい鳥や道路の水溜りに降りてきたオオムラサキ、木に産み付けられた白い泡のようなモリアオガエルの卵、渓流ならではの山菜の数々、知らなかった樹木や草花。渓流に通うたびに図鑑の数が増えた。
 梅雨が終りかけたある日、渓流沿いの道の上に黒いシミのようなものが広がっていた。鳥のフンだろうかと近づいてみると、何か実のような物だった。潰れていない実を手のひらに置くと、ブドウの房をうんと小さくしたような果実だった。ふと見上げると、大きな木の枝に赤や黒い実がたわわと付いていた。
 その実と木の葉を持ち帰り調べると、桑の実だという事が解った。図鑑には甘酸っぱく美味しいと書いてある。次の週にはヨーグルトに入った黒紫色の桑の実が食卓を飾った。それが私の家族と桑の実の出会いだった。
 その頃、好美が出したハガキで「絹のうちわプレゼント」という懸賞が当たった。届いた大きな箱を開けてみると、大量の桑の葉と骨だけのうちわ、そして区切られた箱に入れられた小さな蚕が二十数匹。昆虫嫌いの家だったら大惨事だったろうが、我が家では日々大きくなる蚕を育て、糸を吐くようになると蚕をうちわに移し丈夫な絹のうちわを作った。真っ白い、蚕の片栗粉をまぶしたような触感や、独特のいい匂いは忘れられない。

 子供たちがまだ小さかった頃、郊外に住む友人の畑に桑の実を貰いに行った。桑の木は昔、その葉を、絹糸を取る蚕の餌にするためにたくさん植えられていたらしい。子供の手を引き畦道をずいぶん歩いた先に一本の桑の木があった。
 畑の桑の実は渓流のものよりひと回り大きかった。木の下で好美と子供たちが傘を逆さまに開き、私が木に登り実がついた枝を揺さぶると、熟した実といろんな虫たちが傘に集まった。みんなで傘の中から桑の実を取り出すと、竹で編まれた籠はいっぱいになった。
 家に帰ると桑の実を洗い、実についた小さな茎を一つ一つ手で取り、そして水けをふいて半量のグラニュー糖とレモン汁少々をいれ、鍋で煮詰めてジャムを作る。黒い実と赤い実を混ぜて作るのがコツだ。
 里山遊びとジャム作り、これが我が家の六月の行事となった。

 子供たちが小学生の頃、引越しをして庭に桑の木を植えた。桑の木はどんどん成長し、毎年たくさんの実を付けた。その実は畑のものよりずっと大きく甘い実だった。
 ジャム作りもその頃になると桑の実だけでなく、イチゴも混ぜてたくさん作った。その方が美味しくなり、量も増えるからだ。イチゴの時期は少し早いので、安い時に買って砂糖をまぶして冷凍しておく。そして桑の実が採れると、合わせてジャムを作るのだった。
桑の木は春先に小さな実をつける。実は徐々に大きくなり、薄い緑色から赤色そして熟すと黒紫色になる。好美は腰に竹籠を付け、楽しそうに毎日少しずつ出来る桑の実を集めていた。

  好美が急に亡くなった春、庭の桑の実は何故か熟さなかった。実は付けたものの、いつまで経っても薄い緑色のまま、やがて実はすべて白く枯れ落ち、夏になると桑の木は次第に弱り、葉をすべて落とし枯れてしまったようだった。冷凍庫には大量のイチゴが入ったままだった。
 そういえば米のとぎ汁を木の下に撒いていた事を思い出した。好美が撒くこともあれば、頼まれて私が撒くこともあった。もう無駄かもしれなと思いながらも少しずつ水遣りをした。
 夏の終わりのある日、桑の木の幹から若葉が芽生えた。私は冷凍庫から大量のイチゴを取り出し、イチゴだけのジャムを作った。桑の木は葉の数を日に日に増やし、回復の兆しを見せていた。
 
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